かまいたちの夜2 監獄島のわらべ唄
PlayStation2/メモリ:300KB以上/1〜2人用
メーカー:チュンソフト
ジャンル:サウンドノベル
スタッフ:我孫子武丸,田中啓文,牧野修,東儀秀樹,パッパラー河合,羽毛田丈史
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コンシューマーゲームにサウンドノベルという新たなジャンルを定着させた、『かまいたちの夜(SFC、PS)』の続編。前作は写真取り込みの美麗なグラフィックと臨場感溢れる効果音の演出、マルチエンディングの多彩なシナリオなどで人気を博し、特にミステリファンにとっては記念碑的なゲームとなったと思われる。
理由は、シナリオライターに起用された我孫子武丸。言わずもがなの本格ミステリ作家だ。それまで、本格ミステリ作家の関与したゲームはヒットしないというジンクスがあった。また、殺人事件の捜査などをテーマにしたアドベンチャーゲームは数あれど、本格ミステリをゲームに仕立て上げるのは無理だという暗黙の諦念がミステリファンにはあったのだ。
これらの根拠は単純だ。コマンド選択式のアドベンチャーでは、プレイヤーの積極的な推理や捜査を反映するのに無理がある、つまりプレイヤーは基本的に選択肢から(消去法により)推理の結果を選ぶしかなく、また日本の本格ミステリの基本とも言える叙述トリックを生かす余地がないため、どうしても謎がありきたりなものになってしまうのだ。そしてミステリ作家は、多くの場合ゲーム制作のプロではないため、それらの「アドベンチャーが本格に向いていない」事実に気付かず「本格ミステリ」コードを駆使しようとする。結果、ゲーム性や難易度が犠牲となるか、逆にそれらを枠内に無理に詰め込んだせいで失敗してしまうのである。
だから、それらの弱点を一挙に解決する、『かまいたちの夜』の「サウンドノベル」というジャンルの登場にミステリファンは舌を巻いた。何せ、小説をリアルタイムで読むこと自体がゲーム性となるのだ。これならば、完全にやりたい放題である。どれほど難しいトリックやロジックにも、少ない選択肢や簡単な操作で自由に誘導できる。MS−DOS時代のパソコンゲームジャンル、「テキストアドベンチャー」の焼き直しにすぎないという意見もあるが、視覚・聴覚的な表現力の上がった「サウンドノベル」はまったく別物と捉えられる。そして、ミステリ作家ならば、この土台で100%の実力を発揮できる。
これらの必然により、『かまいたちの夜』はミステリ的にヒットした。惜しむらくは全シナリオにおけるミステリのパートが少ないということだが、これはミステリファン以外の支持者を増やすことに一役買い、『かまいたちの夜』はコンシューマーゲームとしても大きなヒットとなった。
長くなったが、以上が前作の評価にして、今作に対する前振りである。まあ要するに、このゲームには5つ★評価に至ることが予想されうる大きな土台があったということだ。
そしてつまり、本題は以下の一言からである。
「にもかかわらず」
……にもかかわらず、今作は完全に期待外れだった。シナリオ担当の作家陣は、前作より格段に向上した視覚・聴覚的演出に気圧されたのか、5割くらいの力しか発揮していないように見受けられる。いや、これはもう手抜きと言っていいくらいのものだろう。
いちいち挙げればきりがないが、前作に頼りきりの人物描写不足、シーンの描写不足・不自然さ、キャラクタの行動・思考の不自然さ、トリック・ロジックの詰めの甘さ、臨場感・悲壮感の演出不足などなど、本当にプロが監修している文章なのかと首を傾げざるを得ない出来なのだ。
確かにグラフィックは素晴らしい。随所に挿入されるCGムービーも良い味を出している。音楽も使い回しばかりだが、まあ新曲は良い。コントローラも震えてびっくりする(今さらだが)。
でも、肝心の文章がこれでは全てが台無しである。
ショックのあまりコントローラから手が遠のき、オールクリアには至っていないので、現段階で完全な評価を出すことは出来ないが、今のままではおそらく★二つが関の山。
クリア後に書き直すと思うので、とりあえずここまで。
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ジョジョの奇妙な冒険 黄金の旋風
★★★☆☆
PlayStation2/メモリ:42KB以上/DUALSHOCK2専用/1人用
メーカー:カプコン
ジャンル:黄金体験アドベンチャー
原作:荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS
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一部に根強いファンをもつ、ジョジョの奇妙な冒険。前作、その第3部をモチーフにした格闘ゲームでファンの信頼を勝ち得たカプコンが、遂に続編の発売。今度のモチーフは、ジョジョ(ジョースター)一族の最大の敵「DIO」の息子、ジョルノ・ジョバァーナを主人公とする、第5部。
第5部といえば、ジョジョのシリーズ中で私が最も気に入っている物語なのである。美しい国イタリアの名所を所狭しと駆けめぐりながら繰り広げられる壮絶なバトル。裏切りや陰謀の渦巻くギャングの世界を描く、ピカレスク風味満載の下克上ストーリー。そのテンションとスピード感は、ジョジョの物語の中でも随一だと思う。
当然、期待が高まるが、同時に不安もあった。前作の第3部格闘ゲームは、スタンド(超能力の具現化したもの)能力を「ビジュアライズされたストーリー性のある攻撃技」として表現し(鉱物に化ける能力→カミソリに化けて攻撃、予知能力→トラックの進路を予知して跳ねさせる、など)、原作の雰囲気を損なわないよう上手に処理していた。しかし、第5部ではそのスタンドバトルがより複雑化し、単純な攻撃技の出し合いというものでは表現しづらくなってきていた。
カプコンはこれに「3Dポリゴンによるアクション」を使って立ち向かおうとしていた。果たしてジョジョの世界を立体で表現できるのか。実際、ソフトを買ってゲーム画面を起動する直前まで、私の心中は不安だらけだった。
そして、その不安はある意味的中したと言える。ポリゴンでジョジョのキャラクタを動きまで完全に再現したのは素晴らしいし、美しい背景グラフィックも、文句のつけようのない出来だ(特に影の表現)。しかし、格闘ゲームのようなコマンド入力を廃した単純なボタン操作では、複雑なスタンド攻撃の表現は再現しきれるものではなかった。結果的に必殺技ボタンを連打するだけのゲームとなり、敵もただ強い(鬱陶しい)だけの存在。知略によるスタンドバトルを再現するために取り入れられた「シークレットファクター(敵の能力の秘密をスタンドによるシュートで暴く)」も、原作を読んでいないものにとっては気付くのが難しく、原作を読んだものはゲームとのギャップに悩むという、評価し辛いものになってしまっている。それら点は非常に残念だ。
ただ、やり込むうちに、スタッフがスタンドバトルを、いや「ジョジョの奇妙な冒険」をいかにゲームとして表現するか、という部分に打ち込んだ情熱のようなものは伝わってくる。戦闘中にリアルタイムで挿入されるモノローグ、敵に攻撃されて理解する自分のスタンドの弱点、シークレットファクターによって暴かれる敵の意外な隙。キャラクタの操作に慣れるにしたがい、周りのものがよく見えるようになってくると、「スピード感のあるバトルの中で敵の謎を解き、絶体絶命の状態から逆転勝利するストーリー」を1シーンの中で出来うる限り再現しようとしているという、第3部ゲームの中にも見た「ジョジョに対する愛」が、ゲーム画面やコントローラからひしひしと感じられるのだ。
だから。完全再現といいながら、沢山のエピソードが抜けていたり、敵の弱点を見抜けば簡単にハメられたり、声優の使い回しが多く、声が合っていなかったり、後半のイベントグラフィックが手抜きだったりするけれど……まあ、許そう。
「わたしは「結果」だけを求めてはいない 「結果」だけを
求めていると人は近道をしたがるものだ……
近道した時真実を見失うかもしれない やる気もしだいに失せていく
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている
向かおうとする意志さえあれば たとえ今回は犯人が逃げたとしても
いつかはたどり着くだろう? 向かっているわけだからな」
(59巻P.114)
苦労の末に見たエンディングは、やっぱり感涙ものだったしね(いや、これは原作が良いということだけど)。
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ICO
★★★★☆
PlayStation2/メモリ:360KB以上/1人用
メーカー:ソニー・コンピュータエンタテインメント
ジャンル:エモーショナルアドベンチャー
スタッフ:上田丈人,細野淳一,桑原慶,河野力
作曲:大島ミチル
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うん、面白かった。ゲームシステムとコンセプトがきれいに融合し、絶妙のハーモニーを奏でている良作だと思う。
頭に角が生えて産まれてきたため、村のしきたりで孤島にある廃墟の城に生け贄として幽閉された少年、イコ。ある日地震が起き、独房のようなカプセルが壊れてその中から抜け出すことが出来たイコは、場内を彷徨っているうちに、宙吊りにされた檻に閉じこめられた一人の少女と出会う。イコは少女を助け出し、言葉の通じない2人は手を繋ぎ合って、城を脱出することにした。
「運動神経抜群の少年が足手まといの少女の手を引いて広大且つ優美な場内を駆け巡る」、という設定を生かし、ゲームの世界にプレーヤーを引き込むため、このゲームでは通常のゲームにとって重要な幾つかの要素を敢えて排除する、という手法を取っている。
例えば、タイムゲージやライフゲージ。パズル性の高いアクションゲームにおいて、煩わしい制限時間を設けないという先例は幾つかあるが、ライフゲージすら存在しないのは私の知っている限りこのゲームが初めて。
「ライフゲージがない」=「主人公は無敵」ということで、それではゲームにならないように見えるが、戦闘の目的を「敵を倒す」ではなく「少女を守る」とすることによって違和感をなくし、ゲーム性を出している。襲ってくる影のような敵は基本的に少女を狙っており、主人公が敵の攻撃を受け、よろけたり倒れたりしている隙に、無防備な少女を攫って「影の穴」の中に引きずり込む。少女が穴に完全に落ちきるとゲームオーバーになるのだ。
影を全滅させるか、逃げることによって少女を守りきれば勝ち、連れ去られると負け、と置いたことで、敵が体力を減らすような直接的な攻撃手段を持たなくても、「主人公の行く手を阻む」「障害物を置いてもたもたさせる」だけで、十分面白くなる。なお、これは変則的な時間制限(少女が連れ去られるまでの時間)にもなっており、わざわざ画面上に無粋なタイムゲージを表示する必要を省いている。
また、この「ライフがない」「少女を守る」設定は、このゲームの売りの一つである「美しいフィールド(廃墟や自然)」を楽しむためのいくつもの利点を生み出している。
フィールドにダメージや致死性のトラップを配置しなくても良いため、フィールドの印象が陰惨にならず、結果的に難易度が下がって、あちこち見て楽しむ余裕ができる。このゲームにおけるトラップは基本的に、主人公は越えられても少女は越えられない障害物であり、障害物を排除するのは「少女のために道を開く」ことである(少女にしか開けない扉が各フィールドの境にあるので、結果的には主人公が先へ進むためなのだが)。そのため、主人公は少女を置いてなら幾らでも動き回れ、一本道のルートなのに、それを感じさせない自由度がある。自由ということは「見たい場所だけ見て回れる」ことであって「隅から隅まで見なければいけない」ことではない。ライフがないこのゲームには、回復アイテムがいらず、それを配置するスペースも、あちこち探し回る必要性も存在しない。
主人公が自由に動けることで、足手まといな少女の存在感がぐっと印象づけられる。ちょっと目を離した隙にどこかへ行ってしまい、気付いたときには影に連れ去られ掛けていたりすると、ゲームオーバーになるという感覚以前に「少女を助けなくては」という気になる。また、それによって「少女を守る」=「主人公の自由が制限される(ゲーム性)」ことを自分の意志で望むという「自由度(もちろんまやかしだが)」が得られるという図式。
このように、幾つかの要素を省きシンプルな作りにすることにより、返ってゲーム性や表現性を向上させ、広がりのある世界を作り上げている点にとても感心した。
主にシステム面の話に終始したが、ストーリー(あってないようなものだが)にもそれなりに惹き付けられた。あまり派手ではないし、欠点も存在しないわけではないが、安心して人に勧められる作品であることは確か。
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