February 2003


氷川透『真っ暗な夜明け
津村巧『DOOMSDAY
若竹七海『ヴィラ・マグノリアの殺人
柄刀一『十字架クロスワードの殺人

monthly impression home



075氷川透『真っ暗な夜明け』(講談社)
★★☆☆☆

犯罪が完全でありえないとしても、
完全という状態は、その語意が示すとおり、
つねに犯罪的である。
 ――ジャン・ボードリヤール
(表紙カバー裏)

 第15回メフィスト賞受賞作品。島田荘司推薦というラベリングの威力には今一つ懐疑的な私も、閉鎖的空間での犯行、トリック&アリバイなし、情を廃したロジック一本勝負、などの前情報にはすんなり踊らされた。書店には既に並んでおらず、イベントで使うという理由もあって、珍しく必死にあちこち探し回ってようやく入手成功。この私の苦労は果たして満たされたのか!(ちょっと嫌な煽り)

 まあ結論から言って満たされなかったんだが。

 まず文章が引っかかる。登場人物たちの心理状態が不自然(及びステロタイプ)という、いわば「人間が書けていない」問題に関しては、別にこの作者に限ったことではないし、ミステリというジャンル全体の業とも言うべきものでもあるので今さらとやかく言わないが、文章自体の構成や比喩がいちいち「ぎこちない」のは読んでいて辛かった。何だかへたな英訳文のような、或いはパソコンで文章作成マクロを組んで自動書記させたみたいな文章なのだ。これが氷川透(作中人物)視点のみならまだわからなくもないが、ころころと視点変更される中でこういった文章を読まされると、何だか落ち着かない。

 この据わりの悪さはいまいち上手く説明できないので、幾つか本文を抜粋してみる。

氷川さんが詩緒里をかばっても、いっさい有効性はない(P.13)

そもそも氷川透という男は、何を考えているのか分かりにくい存在だ。(P.16)

松原から見て、ほかのメンバーの誰よりも、心理的な屈折を感じるのは氷川だった。(P.27)

個人に最も特有なのは、たぶんその人間がもつ欲望だろうってぼくは思うから。(P.29)

そのまま、しばらく放心していざるをえなかった。(P.41)

 序盤部分をぱらぱら捲って気になるのは大体この辺り。如何だろう。別に文法上間違ってはいないのだが、変な違和感が感じられないだろうか。

 まあ、これがデビュー作でもあるし、長文を書き慣れていないなら最初の最初は仕方がないのかもしれない。実際、事件が起こってからは文章が滑り出し、違和感を感じる割合は少なくなっていった。ただ、やっぱりところどころで引っかかるのは、独特の「〜的」表現が多用されるからだろう。

体格もやせっぽちで、物理的な存在感は薄い。(P.15)

彼には、他の音がすべて、分析的に聞こえていた。(P.23)

それが、松原の理系的感想だった。(P.29)

松原の頭脳は、そのように定量的な思考をする。(P.108)

おそらく、友人を守るための騎士道的行為なのだろう。(P.114)

いや、保護者的になる、と言ったほうが適切かもしれない。(P.147)

逆接の接続詞を三連発するという、語用論的にはミステリアスな表現のすえに、高井戸は言う。(P.201)

 こんな感じである。まあ、これはこの作者の味と言えば言えるかもしれないが……ちょっと語用論的にミステリアスかと。

 もちろん、文章がいまいちでも、内容(及びミステリとしての核)が良ければ私としては十分評価対象になる。しかし、それについても多くの難点が挙げられる。

 まずはストーリー展開。全体の半分近くを、電話での会話描写が占めているのは少々芸がないだろう。小説全体を通じてそういう趣向というなら話はわかるのだが、この使い方ならば、メンバーを一同に介させて話した方がよいのではないか。しかも、この電話がのちのちアリバイトリックに利用されるという展開は、いくらなんでも白けると思う。もう少し何とかならなかったのだろうか。

 それから第2の殺人における密室トリック。ロジックもののミステリに密室を登場させること自体に反対はしないが、わざわざ不可能殺人を演出する必要性は全くない。これで警察の捜査方針を自殺の方向に誘導できているのなら話は別だが、この物語の中では全く意味のないものとなってしまっている。何の捻りもない、正に密室のための密室ならば、省いた方が良かったのではないだろうか。

 さらに、随所に伏線的に挿入される、作中の氷川がミステリと現実を混同しだす「半メタ的」展開に到っては、当然解決編において何らかのフォローが為されて然るべきものではないのだろうか。それが何もなしでは、肩透かしを食らったと思われても仕方がない。この辺りの中途半端な演出の数々が、作品のレベルを著しく損ね、せっかくのスマートな論理展開を台無しにしてしまっている。

 肝心要のロジック部分にしても、虚実織り交ぜた推論(苦笑)に推論を重ねていく解決編のために、非常に理解しづらい。これは論点(この場合は、ロジックの「謎」に当たる部分。法月綸太郎『死刑囚パズル』を例に出せば、死刑囚が死刑執行当日に殺されたのは何故か、という謎)が不明確なせいだと思う。メインの謎である、『ブロンズ像の台座が凶器に選ばれた理由は何故か』をもっと前面に押し出し、それをメインに形作られた推論を戦わせる形式になっていれば良かったのではないか。

 とまあ、読書前の期待が大きかった分、辛口の感想になってしまったが、正直、もったいない作品だと思える。着想やロジックは面白いのに、全身全霊を込めてそれを台無しにしているような印象。残念。 to top



076津村巧『DOOMSDAY〜審判の夜〜』(講談社)
★★☆☆☆

えっ、いつも仲良しのやつはどうかって? 
いや、そりゃ、最初は協力するよ。
だけど、最後はそいつともやり合わなきゃならない。
それがルールなんだから。
(高見広春『バトル・ロワイアル』P.11)

 第22回メフィスト賞受賞作品。監獄から出所した元海軍特殊部隊隊員のハヤシが新しい居住地に選んだ北米の田舎町、フラートン。そこは彼の受け入れに反対する町民で溢れかえっていた。彼への不信が拭われぬ状態のまま、ある日突然宇宙からエイリアンがやってくる。エイリアンは町を覆いこむようにバリアを張り、その中で町民たちを虐殺し出す。果たしてハヤシたちは生き残れるのか?

 この粗筋から察せられるとおり、これはミステリではない。といってSFでもなく、ホラーというわけでもない。印象として近いのは、かの問題作、バトル・ロワイアルではないだろうか。序盤で登場する多数の町民たちは、ほぼ皆エイリアンの餌食となり、何の外連もなくただ虐殺される。そのあっさりさ加減には、前もってわかっていても閉口すること請け合いだ。

 突っ込み所は無数に存在するので、特に問題だと思われる部分をピックアップしてみる。

 まずは登場人物に感情移入ができない点。否応なく巻き込まれるという点においてはバトル・ロワイアルと同じだが、皆が皆、性根が腐っているというのか、嫌な奴ばかりで、正直彼らが殺されても全く同情できなかった。嫌な奴をあっさり殺すことで爽快感を出そうとしているのかもしないが、嫌悪感の方が先に立ってしまうと言うのは少しまずい。

 次。副知事戦を控えた町長や、助役の不倫問題、この機会を利用して出世しようと目論む副保安官、れいぷ未遂によるPTSDに悩む女性など、幾つか張られた伏線を、キャラクタを殺して有耶無耶にすることによって解決するというのは、あまりに芸がない。

 そして、最後に明かされるエイリアンたちの動機に到っては、何の捻りもない予定調和な展開で、色々と想像していた私は非常に落胆した。

 結局、大風呂敷を広げるだけ広げて、畳みもせず燃やしてしまったような話。唯一の救いは、これだけのページ数を一気読みさせるリーダビリティの高さか。まあ、人がぽこぽこと殺されるシーンばかりなので、流し読みしてしまっただけなんだけれどね。 to top



077若竹七海『ヴィラ・マグノリアの殺人』(光文社)
★★★☆☆

大きな仕事が終わったばかりのいま、
殺人だろうが戦争だろうが、
彼女の眠りを妨げることはできないのだ。(P.87)

 MISCON4ゲストにも招待された若竹さんの作品を読んだのは、「ぼくのミステリな日常」に続いて2冊目。

 小さな町を舞台とし、主として誰が犯人かという謎をメインにした、暴力行為の比較的少ない、後味の良いミステリ――これがコージー・ミステリの定義とすれば、「ヴィラ・マグノリアの殺人」は間違いなくコージー・ミステリではないと思うんだが。犯人以外にもちゃんと面白い『謎』が用意されている(後述)し、何より後味が悪い。これは「ぼくのミステリな日常」の時にも感じた後味の悪さだ。

 私にとって「ぼくのミステリな日常」が手放しで誉められないのは、北村薫の書く円紫さんシリーズなどに近いフォーマットなのに、それには見られない『毒』がこの作品に含まれていると感じたからだった。それも、効果が目に見える即効性の猛毒の類ではなく、読み進むうちや読後にじわじわと効いてくる、段々息苦しくなるような遅効性の毒だ。

 偏見を承知で言えば、きっとこれは女性作家特有の毒ではないかと私は思う。というのも、失礼ながらずっと勘違いしていたのだが、実は私は加納朋子さんの「ななつのこ」を今の今まで若竹さんの作品だとばかり思い込んでいたのだ。

 「ななつのこ」は「ぼくのミステリな日常」と同様、殺人事件をメインで扱っていない、いわば日常系ミステリの傑作なのだが、両書共に私は作中から毒を感じ取り、気分が重くなった。だから、「ヴィラ・マグノリアの殺人」を読んだとき、3冊連続での後味の悪さに、ああ、やっぱり若竹さんはブラックな作品を書く人なんだな、と早合点したのだ。

 後で確認してみてびっくりである(勘違いする方もする方でびっくりだが)。大慌てで持論を切り替え、「女性作家の毒」云々という考えになったというわけ。

 私にはこれら3作品のイメージ(ジャンルではなく)はかなり似通っている。お二人が女性で日常劇を描こうとしている、という共通項だけで「女性作家の毒」を持ち出すのは暴論も極まるのだが、女性だからこそ感じ取り描写できる、人の心の奥底で静かに冷たく燃える負の炎の存在を、どうやら私は半ば信じ始めている。これはもう妄想に近い話なのでここまでにするが、私は今回もその毒にあてられてしまい、若竹さんの作品をのほほんと読むことができなかったのだった。

 とはいえ、ミステリとしての出来は悪くない。少々アンフェアじみた描写はあるものの、ある一つの謎を取っ掛かりにして話を追っていけば、非常に明快なツイストが待ち構えている。ネタだけ突き詰めればロジックものにすることも可能なものなので、この作品で使われているのは惜しいような気もするが、舞台の特殊性に依った使い方がされているし、やっぱりこれで良かったかな。

 私にとって、連続で読むには辛い作家。まだまだたくさん書かれているので、休み休み読んでいこうと思う。 to top




078柄刀一『十字架クロスワードの殺人』(祥伝社)
★★★☆☆

「悪性リンパ腫ではないのに、そうである女優が、
どうして、マリリン・モンローなの?」
悪性リンパ腫云々は、パズルの縦のカギだ。
「悪性リンパ腫は、専門用語でマリグナント・リンフォーマです。
略して、マリリン」(P.10)

 あらゆる分野の膨大な知識を有しながら、お人好しで一般社会での生活能力が無に等しい、天地龍之介シリーズの新作にして、初の長編作品。待ち望んでいただけに、期待もひとしおの一冊である。

 今回のモチーフは、クロスワード・パズル。関係者の思惑が縦横の升目に配置され、それらがクロスして一つの大きな図式が浮かび上がる、という趣向は非常に面白いのだが、その試みが成功しているかと問われれば、少々失敗の傾向にあるのではないかと思われるのが残念。まあ、その雰囲気は十分に味わえるんだけれど。

 失敗の主な原因はその構造にある。複雑に入り組んだ事件の動機を簡潔に説明しなくてはならないため、登場人物の多くがステロタイプなまでの悪人に設定されており、分かり易い損得勘定でルーチンワーク的にしか動いていないのが、どうにもクロスワードにおけるキーワードのような、ただ升目を埋めるだけの存在で味気ないのだ。

 また、その図式を説明するために、やはりクロスワードを意識したのか、二手に分かれたそれぞれの殺人現場で始まった別々の解決編が交互に描かれ、やがてそれが繋がるという展開になっており、これがまたややこしくわかりづらい。

 そんなわけで、少々残念な出来になってしまってはいるが、今回も龍之介の雑学知識は大活躍、とくに物語中盤のサバイバルシーンはその白眉で、在り合わせのガラクタで様々な便利道具を作る場面などは、昔懐かしの漂流記ものが思い出され、胸が躍る。もうこれだけで満足。

 今後に期待できるシリーズであるのは確かなことなので、ちょっと甘めの採点。 to top


monthly impression home