September 2003


京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕
森博嗣『四季 春
乾くるみ『林真紅郎と五つの謎
西澤保彦『笑う怪獣 ミステリ劇場

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103京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』(講談社)
★★★★

 思い通りになる未来など、絶対にない。
 そんな当たり前のことが判らないのが人間である。
獣には未来などない。過去もない。
獣の場合、経験は常に生きることに役立つ形でしか認識されることはない。
そこにはパターンはあるが時間性はない。
獣の過去は積み上げられることがない。(P.458)

 儒学である。

 現在の日本国民に最も違和感なく受け入れられている宗教は、まあ儒教(思想)なのだろう。年功序列――亀の甲より年の功。先祖を奉り、父母を敬い、兄姉を慕う。人生の先達は悉く偉く、死者の悪口は言わない。一家団欒――父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。家長の下、家族仲良く、身内の恥は外に洩らさず隠蔽するもの。 謹厳実直。質素倹約。過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。

 我々が常識あるいは良識だと思っているこれらは皆、孔子や孟子らの教え、いち宗教の方便に過ぎない。いまだに我々がオウムと呼んで蔑んでいるアレフや、「ものみの塔」のエホバの証人といった宗教の言説と何ら変わりのないものなのである。京極堂は言う。「どんな宗教のどんな方便も、それは嘘っ八ではあるのですが、(中略)リアルに密着して考え出され、培われて来たものなのです。決して机上の空論ではない。軽視すると痛い目に遭う(P.711)」

 今回の物語は、正に日本仏教や日常の影で暗躍する儒教のようなものだったのだろう。ごく当たり前のように存在する常識。見えもせず触れもしない、空気のような存在。しかしそれは、誰もが目を瞑り、手を伸ばして触れようともしないからそう感じてしまうだけのこと。普段認識しないからと、それをないものにしてしまえば、真理は闇に包まれる。

 物語を綴る三人の「私」の見る世界、触れる世界は、同じように感じられてもまるで違ったものである。各人がリンクするとき、その視点の差違が僅かに垣間見える。そここそに真理が、京極小説の醍醐味がある。読み逃してはならない。 to top



104森博嗣『四季 春』(講談社)
★★★☆☆

「コンピュータを組み立てて、勉強をされていると聞きました」
「そう、簡単なプログラムができるようになったよ。面白いね、これ」
「どういった点が?」
「うん、とにかく、自分が思うとおりに動くってことかな。
ミスも多いけれど、それはすべて自分の予測におけるミスだから、
そこがまた面白いね。自分を見つめているようで」
「そう……。そのとおり。鏡のようでしょう?」(P.117)

 作者の講談社新シリーズ……というよりは、S&MやVシリーズの番外シリーズと言った方がいいのだろうか。とにかく、天才プログラマー真賀田四季を主役に据えた物語の第1作。彼女の幼少期から小学生時代(という書き方は正確ではないが、とにかく13歳頃まで)を描いている。

 彼女についての「ある特徴」を過去作品により承知している読者なら、本書の趣向を見抜くのは比較的容易いかもしれない。しかし、そこはツイスト好きなこの作者、一筋縄ではいかないとばかりに、その「特徴」を包括する罠を仕掛けてきている。はたして読者はどの辺りでこの構造を見抜くのか。読了して全体を眺めてみると、作者のほくそ笑む顔が見えるようだ。

 とはいえ、作中に現象として表れる密室殺人事件の真相については少々肩透かしの感が拭えない。というより、殆ど「いらない」と言ってもいいかもしれない。無理に物語を不可能犯罪ものに仕立て上げなくても、十分にミステリとして機能する謎は作れていると思うのだが。

 全4作完結したときに、一体どんな世界が見えるのか。本書を読んだ限りでは全く想像が付かない。真賀田四季の、いや作者の頭の中にははたしてどのような世界が構築されているのだろう。それを味わえるのは、もう少し先のことである。真賀田四季については、自分なりに言いたいこともあるのだが、その辺りは物語の完結時に語ることにしようと思う。 to top



105乾くるみ『林真紅郎と五つの謎』(光文社)
★★★☆☆

そうして分割された個々の事象ごとに、
あらゆる可能性を思い描き、それぞれの波形を描く。
そしてそれらを重ねて出来る、あらゆるバリエーションを見渡せば、
中には必ず、事件の謎と見事にシンクロするものが現れる。
そしてそれこそが真実なのであった。(P.37)

 寡作のうえ毎回作風が異なり、しかも複数の出版社から唐突に発刊される傾向の見られる乾くるみ。その待ちに待った最新刊がこの『林真紅郎と五つの謎』。実は氏の隠れファンになりつつある私としては、何の気なしに訪れた書店で本書を発見したときの気分は正に財宝発掘者のそれだったりした。

 とはいえ、氏の他作品に対する私の感想文を見てもらえれば分かる通り、手放しで誉められるような素晴らしい作品を書いているというわけではなかったりするのだな、この人。確かに本格ミステリを書く才能は持っているし、実際に用いられるアイデアも悪くないものばかりなのだけれど、根が天の邪鬼なのか、一度としてストレートに小説化したことがないのではないかと思える。

 まあ多少のツイストくらい他の作家でも効かせるものだが、氏の場合はこう、ムーンウォークで背中合わせにツイストしている感じ。一言でいえば変なのだ。

 本書は「ジャーロ」誌に掲載された連作短編に書き下ろしを加えて纏めたものだが、初の連作短編にしても、その持ち味は生かされている。ストーリーラインは、妻を事故でなくして以来、世捨て人のような生活を送っている元法医学者の林真紅郎が、日常の中で出会う様々な謎を解き明かすというパズラー。不可解な謎の提示から調査、推論の途中までは結構かっちりとした作りなのに、情報が真紅郎の脳内でシンクロした後に導き出される解答は、何だか違和感のあるものばかり。

 勿論、論理展開にミスがあるわけではない。起こった事件と、その解釈が妙なのだ。答えを聞いて膝を打つというよりは、まあそういうこともあるんだなぁ、と斜めにした首で頷くような感じ。この感覚は、読んだ者にしか分からないだろうな。

 しかし、現実に起こる事件というのは、案外そんなものなのかもしれない、とも思う。「事実は小説よりも奇なり」などという使い古されたフレーズを持ち出すこともなく、実際に全ての出来事の因果関係が言葉で説明できたり、現象が計算や論理によって裏付けられたりすることなど殆どないのは周知だ。そう考えれば、この小説にこそリアリティは再現されている、と言えるのかもしれない。

 とまあ、何となく納得出来ない微妙な気分で本を閉じながら、そんなことを思った。 to top



106西澤保彦『笑う怪獣 ミステリ劇場』(新潮社)
★★★☆☆

 えと。つまり。
 犯人は、怪獣である。
(P.117)

 青年実業家の京介と市役所勤めの正太郎、そして会社員の「おれ」、ことアタルの悪友3人組は今日も連れだってナンパに繰り出している。3人の好みはバラバラなので目当ての娘がかち合うことはないのだ。ところが首尾良く3人のいずれかの前に好みの娘が現れ、いよいよもってお楽しみの段になったりすると、決まって異変が起こる。傍迷惑にも彼らの行く手を阻むモノは……?

 今ここに、空前絶後の特撮ミステリが姿を現す! 超絶連作短編集。

 ……って、ミステリか、これ?

怪獣は孤島に笑う初っぱなからハードな展開にハードなオチ。話自体は微妙だが、カバー下の表紙には笑った。
怪獣は高原を転ぶ成る程、怪獣はトリックスターに使われているのか。
聖夜の宇宙人む、これは好きかも。
通りすがりの改造人間本当に通りすがりかよ。
怪獣は密室に踊る最も本格しているが、本書の趣向を念頭に置いておけばネタを見抜くのは簡単すぎる。
書店、ときどき怪人どんな事態にももう慣れっこな3人組。あの、ミステリは?
女子高生幽霊綺譚これだけちょっと趣向が違うかも。ネタは普通。

 突っ込み所は沢山あるんだが、面白いか、と聞かれると正直返答に困るなぁ。 to top


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