April 2005


清涼院流水『とくまでやる
矢野龍王『時限絶命マンション
清涼院流水『とくまつ
エドワード・D・ホック『サム・ホーソーンの事件簿I

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153 清涼院流水 『とくまでやる』(徳間デュアル)
★★★☆☆

「いや、そうなってもオレはあきらめない。この事件だけは――解くまでやる」
(P.199)

 主人公、出有特馬たちの周囲で開始される謎の事件。何と3ヶ月以上に渡り、毎日1人ずつ誰かが自殺するのだ。果たして特馬たちは事件を止められるのか? 見開き2ページで1日が経過する前代未聞の日めくりミステリがついに登場。

 見開き右ページにその日の日付が表示され、ページを捲るたびにどんどん日が変わっていく中でのドラマというノンストップ感はちょっと新しい感覚。吉村達也が昔、実時間と文章を読むスピードをリンクさせて臨場感を出す趣向の小説を書いていた(というかよく考えたら清涼院自身、『秘密室ボン』とか書いてたな)が、本書は実時間よりもハイスピードで時が流れるため、主人公たちの行動を天からダイジェストで見ているような不思議な気分になる。

 ただ、結果としてこの趣向が大成功かというと、そういうわけでもないという印象。特に残念な点が大まかにいって2つある。

 まず、その個性的な趣向が「毎日人が死ぬ」以外の内容には特に生かされていないこと。主人公の身の回りで犠牲者が出るとはいえ、限定された登場人物が次々に死んでいくわけではないので、折角の日めくりカウントにまったく危機感がなく、比較的漫然と日々が繰り返される。これでは飽きっぽい人なら、すぐに読む手を止めてしまうだろう。

 それから、1ページで1日を語ることそのものが徹底されていない点。1ページの文字数不足からその日に語りきれなかった内容を、回想や仲間内の電話報告という形で翌日、翌々日に語っていたりするのだ。この手の1発ネタにとって、この妥協はいただけない。折角の面白いアイデアなのに勿体ない。

 そうそう、ミステリとしての出来映えは、いつも通りの流水大説(と書けばわかるかな)。適当に辻褄合わせて適当に言葉遊びしてお仕舞い。まあ元より期待していなかったので、特に文句はない。

 しかし、本当にこのネタは惜しいなぁ。なんとか人の褌で相撲を取らないレベルでうまく再生産できないものか。ふむ。ちょっと考えよう。 to top



154 矢野龍王 『時限絶命マンション』(講談社)
★★☆☆☆

「あいつがあんなやつだとは思わなかった。
自分が生き残るためにみんなを殺そうとするなんてな。
このゲームのルールなら俺もわかってるよ。
だけど、本当にやるやつがいるなんて、俺は思わなかった」
(「バトル・ロワイアル」P.81)

 あの「極限推理コロシアム」の仕掛け人が帰ってきた! 今度の舞台は何の変哲もないマンション。そこで繰り広げられる、住人たちによる人形押し付け合いゲーム。生き残れるのは1世帯だけ――果たして主人公は他の住人を倒して勝利できるのか?

 前作からミステリ版「バトル・ロワイアル(以下バトロワ)」などといわれていたが、今回は正にその廉価版といった感じ。一応「人形の押し付け合い」というオリジナルのゲーム性は用意されているものの、それを成立させるための条件が「マンションから出なければなんでもあり」のため、結局は単純な殺し合いに帰結してしまっている。ペナルティに利用される首輪の設定などはバトロワそのまんま。まあ、サバイバルゲームとしてちゃんと面白く作ってあれば少々設定が似通っていても不満はないが、その出来自体もあまり良いとは思えなかった。

 まず、主人公を除く住人たちが誰一人ルールに反抗しようとしないのが不自然。バトロワの場合は倫理観に乏しいパラレルワールド内+倫理観の未発達な中学生が主人公+銃器による直接的威圧などがあったからまだしも(それでも多くの生徒が反旗を翻したのに)、現実世界の日本で、大の大人が雁首揃えて得体の知れない犯罪者の言いなりになって即殺し合いとは、あんまりにもあんまり。たとえ自分だけ勝ち残っても、罪のない人間を皆殺しにした事実を背負って生きていくのにどういった社会的制約が待っているかぐらい、誰でも想像が付く筈だろうに。

 加えて、ゲーム仕掛け人のプランが一見して甘く、抵抗しようと思えばいくらかやりようがあるのに、誰も考慮しないのが不自然。ネタバレなので反転させて幾つか挙げると、

 ちょっと考えただけでも漠然とこれくらいは思い付くのだから、住人みんなで真剣に検討すればもっと良いアイデアも浮かぶだろう。人殺しを決意する前に、試してみるべきことはいくらでもある。

 また、どうしても打開策が見出せず、ルールに則って人形押し付け合いゲームに参戦するにしても、戦略性がやたら甘い。みんな馬鹿のひとつ覚えのように人形を部屋に投げ入れようとしており、相手の裏を掻けそうな戦法が一向に取り沙汰されないのだ。たとえば、

 などなど。まあこれらを実行するとゲームが独り相撲のようになってしまう恐れがあるため、敢えてやらせなかったのだろうが、だったらそもそも犯人側にそんな抜け道だらけのルールを採用させるなと。

 こういった基本的な設定不備に加え、人間ドラマ部分も不満だらけ。特に主人公の偽善者っぷり、人格破綻ぶりには辟易した。極限状態での葛藤を表現したかったのかもしれないが、さんざん人殺しをし、他の住人をこっそり覗き、ルール無用の残虐行為を見ても止めにも入らず、それでいて犯人を許せないとか残忍な住人が許せないとか、全然説得力がない。なんだかんだで一番ゲームにノリノリだし。これでは後半の活躍シーンにも感情移入しようがない。

 最後に明かされる秘密も、膝を打つには至らない。ミステリの体裁を繕うために仕方なく付け加えました、といわんばかりのものでしかないように思う。結局、まるでカタルシスが得られないまま衝撃のラストを迎えるのだが、ただ正直にいえば、この締め括りだけはある程度腑に落ちた。因果応報というか、ひどい物語もこれで少しは救われたのかな、と(いや、全然救われてないんだけれど、気分的にね)。

 このシリーズがどこまで続くのかは分からないが、もうゲームがどうこうよりこの仕掛け人の末路が知りたい。然るべき決着を希望。 to top



155 清涼院流水 『とくまつ』(徳間デュアル)
★★☆☆☆

しかし――特馬は待つ。
最期まであきらめず「解くまでやる」ために特馬は待つ。
(P.194)

 主人公、出有特馬たちの周囲で開始される謎の事件は終わったかに見えた。事件最後の日、12月12日が無事に終わり特馬たちは事件を止められた筈だった。しかし、日付が13日に変わった瞬間に、新たなる惨劇の火蓋は切って落とされたのであった。見開き2ページでワンシーンが語られる「とくま」シリーズ、衝撃の第2作。

 2ページで1日が描かれた前作の趣向に対し、今作では1冊で3時間半の忙しない攻防が描かれていく。命を狙われる夜霧親子を取り巻く1000人のボディガードが次々に倒されていくという危機的状況に、果たして特馬たちはどう立ち向かうのか?

 ――なのだけれど、結論から言えば前作よりかなり評価が下がる。続編というよりは、前作を前編とした場合の後編といった趣であり、状況描写やキャラ描写が前作に完全に依存している上、明らかにキャラクタがインフレ状態。ワンシーン2ページなのと、今回はそこに犯人側の視点も混じっているせいもあり、主要キャラ4人の描写があまりにも薄く、ほとんど活躍らしい活躍ができていない。いっそのこと夜霧親子と親衛隊の2人を主役にしたほうが良かったと思えるくらい、主人公たちは役に立っていない。それでいて ラストで明かされる攻撃方法の謎なども大したことがなく、読了後のカタルシスが少なすぎる。

 あとがきで言及されている「人命を軽視しすぎるのではないか」という批判については、別にそんなことはないだろう。ページを捲るたびに加速してボディガードの数が減っていくノンストップ感と危機感こそがこの物語の肝である以上、そこを否定しては話が始まらないわけだし。

 そんな心配するよりも先に、もっと考慮すべきことがあるだろう。それがわからない限り、この作家の評価は良くて★3つ止まりだ(偉そうだけど)。こんな話になるなら、むしろ余計な主人公たちも次々にやられて最後には全滅(か一人だけ生き残る)、という落ちの方が意外性があって良かったんじゃないだろうか。 to top



156 エドワード・D・ホック 『サム・ホーソーンの事件簿I』(創元推理)
★★★★

「誰かが人を殺したいときには、ただ殺すものだ。
相手をまず初めに消すような
凝った計画を企てることはない。どうしてだろう?」(P.36)

 多くのシリーズキャラクタを描いているホック。そのなかでももっとも異彩を放つのが、サム・ホーソーン医師の活躍するこのシリーズだ。なんと取り扱われる事件の全てが不可能犯罪。金田一少年もびっくりのエキセントリックな事件ばかりが、次から次へとアメリカの古風な田舎町を襲う。

 重要なのは、このシリーズが徹底された不可能犯罪ものであると同時に、名探偵であるサム医師が論理的に謎を解き明かす探偵ものであるということだ。読者は不可能犯罪のインパクトと共に、それが一人の人間の活躍よって見事に解体されるカタルシスを味わうことができるのである。

 名探偵を描くこと自体は比較的簡単である。その物語に登場する他の人物に先んじて事件を解決させれば、それがたとえ3歳児だろうと猫だろうと名探偵に違いはないのだから。でも「頭の良い名探偵」となると話は変わってくる。彼らは作中人物の思考を抜け駆けるだけでなく、神の視点からあらゆるものを疑う読者の思考をも先回りしなければならない使命を背負っている。その上、神懸かり的な予知や偶然の一致に頼ることなく、フェアな論理的思考でもって真相を看破しなければならないのだから、これはもう並大抵の大変さではない。事実、世には犯人の手伝いをするかのような言動でわざわざ事件の謎を複雑化させ、最後の最後で思い出したように事件を解決して何とか株を上げるような「ただの名探偵」が溢れている。

 そんな中でもサム医師は、自身の語るその活躍譚を聞けば誰もが彼を頭脳明晰と認めるであろう、数少ない頭脳派名探偵の一人だ。その片鱗は、彼の言動の端々にさりげなく現れている。

「こうしましょう、サラ。金曜日までベッドにいれば、そのあと、好きなときに起きあがってもよろしいですよ」彼女がウィンクを期待していることを知っているので、私はウィンクした。「本当はもうベッドから抜け出しているんでしょう」
「どうしてご存じなんですか、先生?」
「サリーとドアのところで会ったので、あなたの具合を尋ねました。サリーは、あなたがベッドに座っていて、元気そうですわ、と言ったんですよ。あなたがベッド以外のどこにいるというんですか? サリーがそんなことを言ったのは、あなたが起きあがって歩きまわっているからですよ」(P.19)

 彼は他の皆と同じだけの情報を与えられながら、他の皆が考えてもみない着眼点により論理を組み立てて、ついには事件の真相を看破する。その手腕は見事の一言だ。

 本書では第1作「有蓋橋の謎」から「古い樫の木の謎」までの12編が発表順に並び、最後にボーナストラックとしてかの有名な「長い墜落」も収録されているが、それらの中で私のベスト3(順不同)を挙げるなら、
 である。

 かの名作に挑んだ「十六号独房の謎」や一筋縄ではいかない「古い田舎宿の謎」も捨てがたいが、個人的にはごちゃごちゃしたものより、これ以上ないくらいシンプルな作りのロジックが好みということで上記のようになった。

 サム・ホーソーンの事件簿は現在第三集まで出ている模様。各短編の一作一作が練りに練られた佳品ばかりのため、読むのに思った以上に時間がかかる。手応えのあるミステリを求めている人にお勧め。 to top


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