December 2005


我孫子武丸『弥勒の掌

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162 我孫子武丸 『弥勒の掌』(文藝春秋)
★★★☆☆

我々の善なる意志が、つねに善をもたらすとは限らず、
むしろ悪を生み出すことがしばしばである。
それは我々の邪悪な意志が、つねに悪を生み出すとは限らず、
善を生み出すことがないとはいえないのと同様である。
(講談社現代新書『現代哲学事典』P.145 項目「神T 道徳と化学」)

 すっかり筆の止まった感がある「京都遅筆作家クラブ」が最近になって申し合わせたかのように続々最新作を発表し始めたが、そのトリを飾るかのように我孫子武丸が長編出来! 本格ミステリ・マスターズの一冊として6年ぶりに登場。

 家庭内別居状態だった妻の突然の失踪事件を追う教師と、自分の妻殺しを独自に捜査する悪徳刑事。二人の運命が交差するとき、事件の裏にある新興宗教の影がちらつき始める。現代社会の闇を克明に捉えたサスペンス。

 実にテンポ良く物語が流れ、手を休める暇もなく一気読み。6年のブランクを感じさせない筆致は見事だと思う。変に気負う部分もなく、エンタテインメントに徹する描写は潔くて好みだ。

 タイトルからある程度想像してはいたが、巨大な弥勒の掌の上で踊らされる二人がなんとも滑稽で哀れみを誘う。クライマックスへの流れはもう少しケレンを交えて盛り上げることが出来たんじゃないかとも思うが、それまでの展開があっさりしているのに教団を追いつめていく描写の密度を上げると、作内時間的にも読書時間的にもマイナスになってしまうので、省略したのかもしれない。ただ、きっとこの部分が完璧な出来なら作者の最高傑作になり得たかと思うと残念。

 ラストで明かされる弥勒の正体には、もう恐怖するしかない。科学の発展によって人間は神の力を手に入れたと喜んでいるが、結局我々も、天から彼らを嘲笑う弥勒自身ですら、さらに巨大な掌の上ではしゃいでいるに過ぎないのかもしれない。 to top


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