May 2005


吉村達也『ドクターM殺人事件
森博嗣『Θは遊んでくれたよ

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157 吉村達也 『ドクターM殺人事件』(実業之日本社)
★★★☆☆

「人間は死ぬために生きているのではない。生きつづけるために生きているのだ。
小説家が人生の伝道師という側面を持っているとするならば、
生きるためのヒントを読者に授けないで何とする」(P.225)

 多産作家として老成せず、魅力的な作品作りに対する飽くなき挑戦を怠ることのない作者のノンシリーズ長編。

 雪の山荘に閉じ込められた曰くありげな5人が次々に殺されていくお決まりのシチュエーション。だが犯人はそれを嘲笑うかのようにメッセージを残した――『犯人はふたり』! 極限状況で巻き起こるサスペンス。

 私はこの作者の、読み進むどの段階でも常に生きた謎を呈示し続ける作風には肯定的だ。5人の内2人が犯人となれば、3人目の犠牲者が出た時点で話は終わる、と誰もが考える。そこを逆手に取る、という本作の趣向は確かに面白い。ただ、趣向が面白いからといって作品そのものが面白くなるかというと、そうでもない、というのが答えなのだ。そこにシチュエーションミステリの難しさがある。

 とかく、この作者の場合はそれが顕著だ。話の流れからAが犯人だと思わせておいて実はBが犯人だった、と思わせて本当はCが犯人でした、と最後の最後で話を転がされても、じゃあ作中8割方を占める膨大な伏線はいったいなんだったんだ? という話になるわけで、「先が読めない」という要素だけで「解決も読めない」のでは満足な読後感は得られないのである。

 上記は良くある一例であって無論本作の流れとは異なるのだが、そういった意味で本作は読後の満足度が低い作品だった。しかし、作中の「先の読めない」サスペンスは十分に楽しめたし、雪の山荘で連続殺人というシチュエーションはどれほど使い古されていようと「だが、それがいい」のである。

 吉村達也の作品は、そういう、ミステリ好きがつい手にとって読みたくなるような魅力に溢れている。それはたとえラストで首を捻らされようとも、ひょっとしたら次は面白いかも、と期待してついまた新刊に手を伸ばさせられてしまう麻薬のようなものなのかも知れない。ご注意を。 to top



158 森博嗣 『Θは遊んでくれたよ』(講談社)
★★★☆☆

「つまり、宗教的ってことになるかな。宗教って、どうして人の命を
あんなに軽く扱うのかって考えたことがあるけど」
「それはそうでしょう。死の恐怖から人を救うために存在する仕組みなんだから、
当然ながら、命の軽さを主張する論理になるんじゃない?」(P.187)

 森ワールドの新たな地平を描く、Gシリーズの2作目。今回は謎の連続転落死事件にC大メンバー&西之園チームが挑む。

 今回の趣向は、確かにミッシングリンクを扱った作品の中ではなかなか上質のネタになりうると思う。不可解さの演出という面では魅力的といえるし、話が進むと一見関係のないような某教団の影もちらつき始め、サスペンスとしても思わせぶりな出来。確たるメッセージ性のない茫洋とした事件が相手にしては、海月くんの推理の指標もまずまずといったところだ。

 と、何故こんな奥歯に物が挟まるような書き方をしているのかといえば、本作の趣向にはあまりにも知名度の高い先例があるからなのだ。勿論それがなにとははっきり言えない(ネタバレのため)が、ミステリ好きには避けて通れない作品の内の一つであることは確かだ。恐らく森博嗣はその先例を知らなかったのだろう(この作者ならば有り得る)が、読者の多くにすれば、これはよもやパクリでは? と疑いたくなるのではないか、と私などはいらぬ心配をしてしまい、中盤から内容にあまり没頭できなくなった。色々と不幸な作品である。

 海月くんは着実に犀川先生の後継者として磨き上げられているようだ。将来真賀田四季と対決するのは彼になるのだろうか。その辺りの期待も込めて、続刊を待つ。 to top


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