172 柄刀一 『アリア系銀河鉄道』(光文社文庫)
★★★☆☆
実証的に認識されることによってその事象が存在することになるのだとしたら、
まさにその瞬間、我々の住む太陽系は一気に二倍の大きさになったのだ。(P.259)
ひょんなことからありとあらゆるメタフィクショナルな体系の中にその身を飛び込ませてしまう特異能力の持ち主、宇佐見護博士。彼はその卓越した頭脳でもって、不思議な世界で巻き起こる様々な不都合を解消させるのである。シュールな論理世界の扉が今開く。
本作では4編の物語とボーナストラック1編を収録。その中では、ミステリ的にも物語的にも3つ目の『探偵の匣』が頭ひとつ飛び抜けている。表題作『アリア系銀河鉄道』は落ち扱いとして、最初の2作品の価値はこの『探偵の匣』の布石としての役割だった、といっても過言ではない。
『探偵の匣』は本作中でもやや特殊な位置付けであり、宇佐見博士は慣例通り不思議な世界へと導かれていくものの、それがどのような世界なのかが初めのうちに理解できない。それがこのエピソードの最も面白いところだ。最後に記された「作者からの蛇足」が文字どおり蛇足ではあるのだが、それを加味したとして、作者の短編随一の傑作のひとつであることは疑いようもない。
それにしても本作は、本編以外の部分においても非常に豪華だ。4編それぞれにひとりずつ、都合4人の解説が寄せられてあり、ボーナストラックの後には作者あとがき、文庫版あとがきに加えて、本作全体に対する解説が添えられている。つまり作者を含め、都合6人の人間が本作について語っているのである。まさに前代未聞の解説ラッシュ。それだけこの作者に対する期待が高いということなのだろうか。
率直な意見を述べさせてもらうなら、私はこの作者がいささか苦手だ。作品がつまらないわけでもないのに、どうにも読み辛い。どうもこの作者は、発想力や構成力に優れていても、それを描写する力が足りないのではないか。登場人物が現在置かれている状況――誰がどこにいて、なにをどのようにしているのか――が非常にわかりづらい。もちろんよく読めば書いてあるのだが、それが頭の中に情景として上手く構成されないのだ。物語の始まり方が、いつもやけに唐突な印象を受けるのも、そこに起因しているようだ。
例えば表題作『アリア系銀河鉄道』では、文字どおり銀河鉄道に乗って宇宙を旅するのだが、描写としては当然必要になってくる宇宙の美しさやスペクタクル感が、まるで実感として伝わってこない。言語イメージだけの世界である『言語と密室のコンポジション』は尚更だ。
浅暮三文の得意とする、脳裏で匂い立つかの如き描写までは望まないものの、せめて巨大な方舟の威圧感くらいは伝えて欲しいと思う。
しかしながら、それがこの作者の評価自体を貶めるものではない。『探偵の匣』レベルの作品と出会えるならば、私はいくらでも氏の作品を手に取るつもりである。
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174 柄刀一 『ifの迷宮』(光文社文庫)
★★★☆☆
でもそれらは、教育環境という一種の条件が育てた性質に過ぎないでしょう。
内側に、善と悪を持つ人間であることに変わりはないんだ。
暴力的な衝動がある、妬みや怨みがある、なまけ心がある、性欲がある、野望がある。
万引きもするだろうし、障害を利用した詐欺だって働くかもしれない。
車椅子に乗った通り魔がいても、何の不思議もないんだ(P.211)
遺伝子技術を駆使する最先端医療企業SOMONグループの中枢である宗門家の邸内で、顔や手足を焼かれた女性の死体が発見される。状況からそれは現当主の甥の一人娘、亞美であろうと思われたが、奇しくもその前日、既に他界し宗門家付近に土葬されていた亞美の父、継信の死体が蘇生し逃走したらしき痕跡が残されていた。オカルトめいた雰囲気が捜査陣を包む中、新たな殺人事件が発生。その被害者の爪に残された皮膚のDNA鑑定により浮かび上がった犯人は、なんと死んだ筈の亞美だった。果たして死者の蘇りは存在するのか。遺伝子捜査の盲点に鋭いメスを入れる長編本格推理。
――なのだが、本作はとにかく読み辛い。旧家で起こる猟奇殺人やオカルトめいた符号など、興味深い掴みが惜しみなく投入されているにも関わらず、もう驚くばかりのリーダビリティの低さである。私が遺伝子差別などの倫理問題に疎く、また興味がないことを差し置いても、この作品を読み進めるのは苦行と見紛うばかりだった。
考えてみたが、まず登場人物が多すぎる。事件の当事者となる宗門家の面々は仕方ないにしても、事件に当たる警察関係者や研究員、美容医療企業SOMON職員、SOMON反対派グループと、それぞれの組織に複数の登場人物がおり、さらに彼らの間でも視点が次々に移動するため、物語の筋を1本の流れで追うのが非常に困難なのだ。通して見て明らかに不必要だと思える人物もいるので、もう少し人員整理した方が良かったんじゃなかろうか。
それから、扱われる事件が非常に複雑で、全容の把握に時間が掛かるという点も上げられる。まず序盤では、過去の2件の殺人事件に加え、その遺棄死体の消失、土葬された筈の別の死者の復活、そしてメインである宗門家での殺人事件などが、100ページあまりの間で矢継ぎ早に語られていき、実に慌ただしい。しかしそれ自体はプロローグに過ぎず、作者の意図するであろう物語の骨子が見えてくるのは作中で第2の殺人事件が発生する章X以降、実に300ページを越えた辺りからなのだ。それまでに胸のすくような展開はほとんどなく、読者はただ複雑化していく状況を眺めていることしかできない。
また、本作品は遺伝子学の発達した近未来が舞台のSFであり、現実世界の倫理観との微妙なギャップが存在するのだが、その説明のための描写が随所に挿入されることで、読書テンポが幾分乱れてしまう。それ自体は欠点というほどのものではないのだが、こういった幾つもの要因が重なることで、一種異様な読み辛さが生まれたのではないだろうか。
本作が不幸なのは、ミステリとしての出来栄え自体は決して悪くない――というかむしろ非常に良い、というところだ。不可解としか言いようのない現場の状況をきれいに整頓する明快なロジックや、新機軸ともいえる密室トリックは綿密に考え抜かれたもので、そこに至る伏線も巧妙に張り巡らされている。メインで扱われる、遺伝子情報を元にした捜査に関するある謎の答えこそ、(本書が上梓された2000年当時ならともかく)現在の医学雑学では真っ先に想像可能なものでやや拍子抜けだったが、各事件ごとのバラバラなアイデアをラストでひとつの大きな犯行動機に結びつける作者の構成力には感服しきり。解決編だけで前半から中盤に掛けて抱いていた不満点など吹き飛んでしまった。
もし仮に序盤〜中盤の流れが良ければ、本書は近年希に見る名作となりえただろう。実に惜しい作品である。個人的には真犯人の憎らしい造形がお気に入り。少々我慢してでもカタルシスのために読むべきかどうかは本人の裁量か。
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175 柄刀一 『レイニー・レイニー・ブルー』(光文社)
★★★☆☆
名探偵とは、ある瞬間に、事件の真相をつかみ取る。
セレンディピティーが発揮された瞬間に、
論理や理屈も同時に構成されているのさ。(P.170)
『ifの迷宮』の登場人物のひとりである熊谷斗志八を探偵役に据えた連作短編集。彼は下半身が不自由で車椅子を常用しており、一見厭世的とも取れる毒舌を誰彼なく撒き散らす難物だが、その実はクールで前向きな性格であり、自然と皆の信頼を得る術に長けている。ひょんなことから知り合った新人介護福祉士の鹿野真理江と共に数々の事件に立ち向かう彼の姿は、まさに新時代のアクティブな安楽椅子探偵といえるだろう。
柄刀作品に共通する相変わらずな読みにくさはあるものの、作者の障害者に対する優しい視線と、最近のミステリでも珍しい物理トリック中心の骨太な構成が心地良い読み応えの傑作短編集。
以下は各短編の簡単な感想。
人の降る確率 | 『長い墜落』アレンジ。切り口は面白いけれど、ちょっと無理筋な計画。 |
炎の行方 | 焼死体とアリバイトリック。これもかなりのアクロバット犯行。 |
仮面人称 | 人の本性が見える面の伝説。単純ながら効果的なトリック。 |
密室の中のジョゼフィーヌ | 完璧すぎる密室。トリックと動機が密接に関わっているのが好印象。死因にインパクトがないのが残念。 |
百匹めの猿 | 番外編ともいうべき内容。雰囲気はかなり好きだが、さすがにこのトリックは…… |
レイニー・レイニー・ブルー | 最も地味な話。しかしながら、作者がこのエピソードを表題作に推した気持ちはよくわかる。 |
コクピット症候群 | 集合住宅でガス漏れ事件。犯人の目星はすぐ付いたのに、そこからこれ程までにアクロバティックな真相が現れるとは予測できず。 |
斗志八を模した無機質なオブジェを飾る表紙や扉が良い感じ。ヒロインである真理江との関係も思わせぶりで気になるので、是非シリーズ化して欲しい。
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