October 2005


森博嗣『τになるまで待って

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162 森博嗣 『τになるまで待って』(講談社)
★★★★

「ちゃんと状況を話したのに、道具を持って来ないってのは、いけませんよね」
加部谷が言った。
「まず、現場に駆けつける、という方が優先なんだと思うよ」
山吹が弁護した。
「だって、現場に駆けつけてないじゃないですか、まだ」
加部谷はドアを眺めながら、溜息をついた。(P.222)


 Gシリーズの新作。なんでもこのシリーズの売り上げが過去最大だとか。つまり蓄積され続けた作者の知名度が遂にある種の読者層に届き、きりの良い新シリーズから新規読者が大量参入したか、ノベルス定番の2段組文章が読めない性質の人々が1段組の本シリーズに飛びついたか、みんなギリシャ文字が好き、のうちのいずれか、もしくは幾つかの複合要因なのだろう。

 まあそれは置いておくとして。当該の物語にタイトルが関係ないというのはいつものことながら、ようやくシリーズの全体像がおぼろげに見えてきたような感じ。でそれはやっぱり真賀田四季関係の模様。赤柳の存在が保呂草並みに怪しげだが、時系列問題や犀川と顔を合わせているのになんのフォローもないことから同一人物ということはなさそう。文字どおりまだ顔見せの段階といったところだろうか。

 内容としては、かなり久々の真っ当なクローズド・サークルものだった。『六人の超音波科学者』以来だから、丸4年ぶりである(スカイ・クロラシリーズは読んでいないのでそちらにクローズドサークルがあるかもしれないが)。

 超能力と殺人の2つの謎があって、前者が大雑把にとはいえ当たりを付けられたのに対し、後者はまるで推測できず。本当に何も思い浮かばなかった(こういうことは非常に珍しい)ので、解決編を読んで衝撃を受けた。

 このトリックは、本来ならば「反則だ」とか「その程度のことか」と一蹴できるようなネタなのだが(読者の大部分は実際にそういった感想を持ちそうだ)、正に犀川先生のいう、「思考が既知の情報によって限定され、不自由になる」ことの好例となっており、批判の矛先を上手に逸らされた印象。結果、摺れたミステリファンが基本的なトリックに足を掬われるのと同等の構図になってしまった。ミステリを書くのに独創的で斬新な発想は必ずしも必要なく、真相からほんの僅かに視点をずらしてやるだけでよい。お見事。

 しかし犀川先生もすっかり大御所としての貫禄が見えてきた。新本格において「探偵」に求められるのは謎をマッハの速度で解決に導く触媒としての機能であり、必然的に「語り手」「主人公」「探偵役」などの、物語の進行に沿って読者に理解できる順序で謎に関わりそれを咀嚼していくような存在とは一線を画しているのだが、そういった意味で犀川はS&Mシリーズでの一介の探偵役から「探偵」へと立場が変化したのだろう。

 そこから垣間見える本シリーズの骨子は、加部谷たち探偵役を読者的立場と捉えた場合の、「名探偵と握手」的読者サービスなんだな、とようやく気付いた次第。

 ただそれは、もう真賀田四季と直接向き合うのが犀川ではなくなったということも表している。彼女には、おそらくC大の面々が肉薄していくことになるのだろう。で、犀川とのギャップを埋めるために用意されたのが海月及介という存在だと。まあそのように予想。

 ともかく今回は満足な出来。続巻にも期待が高まる。 to top


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