February 2006


石持浅海『セリヌンティウスの舟
東野圭吾『予知夢
太田忠司『予告探偵 西郷家の謎
秦建日子『推理小説

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176 石持浅海 『セリヌンティウスの舟』(光文社)
★★★☆☆

犯人になり得る人間が僕たちしかいない以上、犯人はいない。
(P.80)

 言ってみれば、本格ミステリとはただの論理パズルだ。

 現実の事件捜査の目的は、犯人を逮捕し、社会的責任の所在を明らかにして、事件の道義的決着を得ることであり、謎を解決に導く論理はそのためのひとつの段階でしかない。しかし本格ミステリにおいては、探偵役の推理あるいは語り手の独白によって事件の真相が導き出されさえすれば、必ずしも犯人が逮捕される必要はないし、むしろ犯人の存在など無視しても構わない。重厚なテーマも、クライマックスのカタストロフィも、場合によってはメインの趣向であるトリックですら、物語の中心を貫く論理の脇役に過ぎない場合があるのだ。

 論理に偏重した物語。それはときにトートロジーに囚われ、ナンセンスと化すだろう。論理を重視するあまり、現実がないがしろにされ、幻想に蝕まれた物語は消え去って、散文的なレポートと化す場合もあるし、デフォルメの多用によって逆に論理自体が脇役に押しやられ、ただのパズルの説明文に成り下がってしまうことだってある。論理が中心に置かれた物語のバランスをどの支点で取るか、そこにミステリ作家の力量が問われることとなるのである。

 さて、本作の趣向はまさにその支点が極端な位置に取られている。登場人物たちはみな一心同体、いわばキャラクタの別がない状態といっても過言ではなく、語られる筈の事件は既に解決していて、物語の前途になんの障害も問題も発生しえない。脇役たる全ての要素が沈黙する中、語られるのは論理――まさに論理のための論理のみ。彼らはレトリックを駆使して、ただ論理を語るしかないのだ。

 レトリックで論理を語る。これはまさしくトートロジーの危険を孕んでいる。対立項が存在しない以上、ディベートと割り切ることもできない、うたかたのようなこの一幕劇の中で、唯一絶対的な概念として存在するのが、「信じる」ということ。彼らは寄る辺のない広大な荒海に揉まれながら、そのたったひとつの拠り所にしがみつき、真相に辿り着こうと足掻く。それはイコール、作者自身の挑戦でもあったのだろう。

 この物語の結末――論理の着地点については、賛否両論あると思う。なによりこの決着が予定調和そのものであるという部分には、個人的にも大きな不満を感じる。けれど、作者がこういった挑戦をし続ける限り、私はどこまでも付き合うだろう。島田荘司や西澤保彦とは一味違うタイプの論理を繰る作家として、いつまでも偏愛し続けるだろう。 to top



177 東野圭吾 『予知夢』(文春文庫)
★★★☆☆

「亡霊は、心の中にいるからな」
(P.113)

 『探偵ガリレオ』に続く、工学部助教授湯川学シリーズの第2弾。先日直木賞を受賞した同作者の『容疑者X氏の献身』はこのシリーズの最新作ということで、まずこちらから予習。

 未来予知、幽霊、ポルターガイスト、火の玉……。相変わらず、語り手の刑事である草薙の下に舞い込むのは常識では考えられない奇妙奇天烈な怪事件ばかり。今回はその中でもよりオカルトに偏重したエピソードが5編載せられている。

 ただ、前回と違って殺害方法を解明するのではなく、オカルト現象を解釈するというモチーフが採られているため、本シリーズの売りである荒唐無稽な真相の衝撃度はかなり落ちる。その殆どのケースに人間心理が絡んでくるせいで、工学知識のない私などでも、大体こんなからくりだろう、と予測できてしまうのだ。

 まあ短編レベルの謎だから、と言ってしまえばそれまでだが、天下の日本警察がこの程度の真相も看破できないようではちょっと困り者。前回はほぼ推理不可能な知識を元にしたギャグすれすれのトリックを駆使することで、そういった謎自体の矮小さをカバーできていただけに、残念な続編になってしまったように思う。

 最新作では湯川のキャラクタの掘り下げ共々期待したい。 to top



178 太田忠司 『予告探偵 西郷家の謎』(中央公論新社)
☆☆☆☆

この一見瀟洒な建物の中に潜んでいるのは、
今まさに朽ち果てようとしている一族の者たちなのさ。
(P.30)

 意外な真相。難攻不落のトリック。ミステリの評でよく目にするキャッチコピーだが、これらが誉め言葉として機能するためには、ひとつだけ満たされていなくてはならない条件がある。

 それが、その真相やトリックにおける作中での「必要性」だ。小説としても物語としても事件としても、その真相やトリックが存在する必要性がなければ、それはただの荒唐無稽な種明かしに過ぎず、読者はびっくり箱的なサプライズしか得られない。必要性のない真相やトリックとは、解決編が落丁で数十ページ白紙の続くミステリとなんら変わりがないのだ。

 この前振りで私の言いたいことはお分かりかと思う。古典しか読まなかった私を本格ミステリの世界へ導いてくれた、ベテラン作家である太田さんが、上記の事実をよもや知らない筈はないため、本作の趣向は「ミステリではない」、あるいは「小説ではない」ものが目指された結果なのではないか、と邪推すらしてしまう。これが21世紀の新しいエンタテインメントだとすると、大いに首を傾げざるを得ない。

 突っ込みを始めるときりがないため作品の趣向に対する感想はこの辺で終わらせるが、それ抜きにしても、この物語には読んでいてわくわくするような部分が非常に少ないように思う。予告状、旧家の一族、古式ゆたかな豪邸、奇矯な探偵、密室殺人――と、無数の本格コードが散りばめられているにも関わらず全く楽しめないのは、やはり趣向に重きが置かれているためなのだろう。なんとも皮肉な話だ。

 久しぶりに辛い作品を読んでしまった。これが楽しめた方には、是非感想を聞いてみたい。 to top



179 秦建日子 『推理小説』(河出文庫)
★★★☆☆

「アンフェアな行為というのは、いつも、『正義』の名のもとに行われる」
(P.105)

 実際に起きた事件が小説に描かれるのはただのノンフィクションだが、小説に描かれた事件が実際に起きると、これはミステリになる。それも、その小説と事件のそれぞれが世に出た時間(時の間)が短くなればなるほど、謎が多くなる。いったい誰が(Who)、なんのために(Why)、どうやって(How)? ――いや、「いったい誰が」と「どうやって」についてはすぐに答えの見当が付くかもしれない。『小説の作者が犯人』だ、と。

 有名テレビドラマの脚本家である著者の小説家デビュー作である本作は、視聴率重視のテレビ業界人のアイデアに相応しく、インパクトに充ち満ちている。まずはタイトルの『推理小説』。解説で新保氏が挙げているように、横溝正史『探偵小説』、三枝和子『恋愛小説』などの作中作を論うメタフィクショナルな創作群を連想させるその表紙をめくると、本文が始まる前に挿入される読者への犯行声明。そこに記された「T.H」のイニシャル(作者の名前は秦建日子(はた・たけひこ))。さらに、作中に繰り返される「アンフェア」の文言。推理小説の体裁を採りつつ、挟み込まれる既存の推理小説へのアンチテーゼ。これら尽きることのないアイデアで、本書はどの部分をとっても退屈することなく読み進めていくことが可能だ。

 おそらく多くの読者が頭を悩ませるであろうメタフィクションの部分も上手に処理されており、決して「逃げの手段」としてのメタミステリに終わってはいないことにも好感が持てる。正直な話、この部分については投げっぱなしだろうな、と嘗めていた私は、読了後作者の計算高さに舌を巻いた。メタものを読み慣れた読者も、そうでない読者も、これなら納得できる筈だ。

 ひとつだけ難点をあげるとするなら、自身のアンチテーゼのなかで予定調和を否定した本作が、紛れもない予定調和であるという部分。しかしこれは仕方のないことなのかもしれない。予定調和が大嫌いな私が「仕方のないことだ」と思えるくらいには、本作のラストのカタルシスは大きい。

 ちなみに本作はフジテレビ系でTVドラマ化されたが、小説を読んだ段階でそれは初めから想定されていたもののように感じられただけに、その脚本が作者でなかったのがつくづく悔やまれた。もし作者による映像化が実現していれば、もう一段階上のメタフィクショナル構造がお茶の間に現出していたかもしれない。

 さて、最後に本作がミステリとしてアンフェアなのかどうか、という点に触れるが、私はこれはもちろん十分フェアだと思う。理由は推して知るべきところ。 to top


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