186 田代裕彦 『キリサキ』(富士見ミステリー文庫)
★★★☆☆
《無視》というのは、その存在を見ない、そいつに注意を払わない、
というような意味だと思っていたが、いじめによる《無視》とは、
《自分がそいつを無視しているとアピールする》ことだった。(P.89)
ネットの評判を見て手に取ってみた。富士見ミステリー文庫の一冊だが、出版社が出版社だけに、ミステリというよりはラノベの感覚で読んだ感想を書いてみる。ではいつも通り粗筋から。
いきなり主人公が死んで始まる物語。死後の世界で主人公は《案内人》という存在に出会う。《案内人》は言った。「君は死ぬべき時でないのに死んだ――君にはまだ寿命が残っている」その頃巷では、女子高生ばかりを狙って切り裂く殺人鬼《キリサキ》が暗躍していた――
いわゆる死者蘇生ものとトランスセックスものの融合で、ジャンルとしてはさほど目新しいものではないが、そこにシリアルキラーを登場させることでサスペンス色を強めているのが面白い。真相自体はミステリとしてはいささか出尽くしたようなネタで、且つ伏線も納得のいくものではなかったが、ラノベ的カタストロフィとしてはこれぐらいで十分だろう。
問題は、真相に至る過程でのどんでん返しのひとつが、ちょっと卑怯だと思われること(ちなみに時間の話ではない)。メタフィクショナルな部分での引っ掛けなので、読者としては騙される快感よりも、築き上げられた作中世界が無意味化する不条理感を強く味わわされてしまうのだ。その後の説明によって実質的な世界観の崩壊は免れているのだが、どうしても無理矢理感は隠せない。
読んでいる最中も読み終わったあとも感じたのだが、イメージの近い別作品として乾くるみの『
マリオネット症候群』が挙げられる。こちらはどんでん返しの側面は弱いが設定の纏まりが良くてお薦め。『キリサキ』系の話が好きな方には是非読んでいただきたい。
まあ、これはウォーミングアップ。気になる本命は続編の『シナオシ』だ。続く。
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187 田代裕彦 『シナオシ』(富士見ミステリー文庫)
★★★☆☆
「だって、絶望するのは簡単なことだから」(P.190)
続き。というわけで『シナオシ』。これが読みたかったために『キリサキ』から読み始めたのだが、成る程、なかなかに面白かった。
いきなり彼女が死んで始まる物語。高校の合格発表の日、《私》は再び《案内人》という存在に出会う。かつて《案内人》は言った。「君は死ぬべき時でないのに死んだ――君にはまだ寿命が残っている」そして再び現れた《案内人》はこう付け加えた。「君は――「シナオシ」だ」
大まかな設定は『キリサキ』に倣っているが、本作の方がよりすっきりした形にリメイクされており、『キリサキ』のときのような理不尽さがかなり解消されていた。また、それによって精製される真相部分の説得力も幾分か増しているようだ。作者の成長をまじまじと見せ付けられる。
構成に関しても、『キリサキ』でいささか蛇足に感じられた刑事視点に相当する部分が無く、かっちり纏まっている。キャラクタ設定も話の内容にマッチしていて、隙がない印象。
そしてなにより、動機に関する真相が素晴らしい。この世界設定(『キリサキ』ではなく『シナオシ』のもの)でなければここまでの衝撃はなかっただろうと考えると、前作の設定をそのまま引き継がせなかった作者の判断は正しかったといえる。
あくまで『キリサキ』あっての本作ではあるのだが、読み方としては『キリサキ』のサプライズを多少犠牲にしても本作から読み始めた方が、特にミステリファンには納得いく読後感になるのではないだろうか。
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188 松尾由美 『安楽椅子探偵アーチー』(創元推理)
★★☆☆☆
「ひと桁の足し算を三回繰り返す程度の、
推理などと言うのもおこがましい思考の連鎖にすぎない。
きみたちのようにあちこち走り回ったりせず、
日がな一箇所に腰をすえている者なら当然だろう。
考えるよりほかにすることがないのだからね」(P.31)
ミステリ作家によってこれまでに様々なタイプの安楽椅子探偵が生み出されてきたが、本作に登場するアーチーほど安楽椅子探偵という肩書きの似合う探偵はきっとこの先も現れないだろう。なにせ『彼』は正真正銘の『安楽椅子』なのだから。無生物がシリーズ探偵役を務める前代未聞にして期待大の連作短編ミステリ。
ロジック好きの私としては、日常系はある意味鬼門である。本作はその突出したモチーフが傑作を期待させたものの、やはり素直に賞賛できるまでには至らなかった。いったいどの辺りがまずかったのだろう。
重犯罪またはそれに近い行為を主軸としないミステリは、登場人物の行動原理である動機の多様さや弱さからか、どうにも話を展開させにくく、また複雑な状況を設定しにくいものだ。必然的に、ワンアイデアをいかに見せるか、不可能状況をどうひっくり返すか、探偵役の語る真相にどのようなインパクトを与えるか、などという部分がより重視され、小手先のロジックは情報を取捨選択し整理する小道具としてその精度が低く扱われがちになる。
ロジックが華麗であればあるほど、その筋道の先にある真相には確固たる信念の裏打ちが必要だ。ただなんとなく悪戯書きする人はいても、それを書いたのが自分であることをただなんとなく入念に隠そうとする人はいない。逆に、それがただなんとなくでも、殺人という大罪を犯してしまった人間は、その事実を全身全霊込めて隠蔽しようとするだろう。よって、それを暴くロジックも緻密で複雑なものになるのだ。
本作は日常系のご多分に漏れず、ロジックの精度が満足なものではなかった。では真相や状況のインパクトについてはどうだったかとというと、それも十分なレベルに達していない。アーチーの組み立てた推理はあくまで妥当な推測の域を出ず、その後明らかになる真相をもってしても、得心がいかないエピソードが多数(といっても全部で四作品しか収録されていないのだが)だったのだ。
結局本作は、「安楽椅子が探偵」というワンアイデアのみが突出しており、残りの要素は至極平凡という残念な作品になってしまった。日常系ミステリとは実に難しいものだと、改めて気付かされたように思う。
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